news
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12/2 paperweight数点追加しました。
11/20ガラス追加しました。
ブログ更新しました。
11/1 ガラス数点追加しました。
8/29 ガラス数点追加しました。
8/2ガラス数点追加しました。
bottle/decanter
小さなものから少しボリュームのあるものまで。
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BOLLE 503.01 / VENINI
通常価格 ¥198,000 JPY通常価格単価 / あたり -
BOLLE 502.02 / VENINI
通常価格 ¥176,000 JPY通常価格単価 / あたり -
inciso bottle / Venini
通常価格 ¥175,000 JPY通常価格単価 / あたり -
Candy Container / Kagami Crystal
通常価格 ¥0 JPY通常価格単価 / あたり売り切れ
paperweight /decorative objects
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Leafs Murrina Paperweight
通常価格 ¥24,200 JPY通常価格単価 / あたり -
Flower-paperweight /Fratelli toso
通常価格 ¥0 JPY通常価格単価 / あたり売り切れ -
Berry and Leaf Murrina Paperweight/Fratelli Toso
通常価格 ¥24,200 JPY通常価格単価 / あたり -
Flower Paperweight
通常価格 ¥16,500 JPY通常価格単価 / あたり
vase
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opachi 513.03/ Venini
通常価格 ¥330,000 JPY通常価格単価 / あたり -
opachi 513.04/ Venini
通常価格 ¥330,000 JPY通常価格単価 / あたり -
vase / Venini
通常価格 ¥67,100 JPY通常価格単価 / あたり -
売り切れ
Veronese / VENINI
通常価格 ¥0 JPY通常価格単価 / あたり売り切れ
bowl / dish
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bowl /Venini
通常価格 ¥69,300 JPY通常価格単価 / あたり -
bowl / Venini
通常価格 ¥49,500 JPY通常価格単価 / あたり -
chestnut bowl KF210/nuutajarvi
通常価格 ¥0 JPY通常価格単価 / あたり売り切れ -
Coreani 511.40 /Venini
通常価格 ¥231,000 JPY通常価格単価 / あたり
Manufacturers
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Vetreria Alfredo Barbini(Alfredo Barbini srl)
1950年に様々な会社で経験を積んだ、Alfredo Barbiniによって設立されたガラスブランド。
Vetreria Alfredo Barbini(Alfredo Barbini srl)
1950年に様々な会社で経験を積んだ、Alfredo Barbiniによって設立されたガラスブランド。
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Seguso Vetri d'Arte
Seguso Vetri d'Arteは1933年にNapoleone Barovier とLuigi Olimpio FerroとAntonio Segusoによって設立されたムラノガラスを代表するブランドの一つです。
Seguso Vetri d'Arte
Seguso Vetri d'Arteは1933年にNapoleone Barovier とLuigi Olimpio FerroとAntonio Segusoによって設立されたムラノガラスを代表するブランドの一つです。
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Cenedese Vetri
1946年、Gino Cenedese(ジーノチェネデーゼ)と4人のパートナーによって設立されたアートガラスブランド。
Cenedese Vetri
1946年、Gino Cenedese(ジーノチェネデーゼ)と4人のパートナーによって設立されたアートガラスブランド。
glass techniques
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7-Scavo(スカーヴォ)
今回はローマングラスのような、長く地中で眠っていたような独特の質感を表現したScavo(スカーヴォ)技術です。
7-Scavo(スカーヴォ)
今回はローマングラスのような、長く地中で眠っていたような独特の質感を表現したScavo(スカーヴォ)技術です。
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6-Iridescent(イリデッシェント)/Iridescenza(イリデッエッシェンザ)
今回は仕上げの表面加工Iridescent(イリデシェント)/Iridescenza(イリデッエッシェンザ)です。
6-Iridescent(イリデッシェント)/Iridescenza(イリデッエッシェンザ)
今回は仕上げの表面加工Iridescent(イリデシェント)/Iridescenza(イリデッエッシェンザ)です。
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5-Lattimo(ラッティモ)
今回はLattimo(ラッティモ)ガラスについて。
5-Lattimo(ラッティモ)
今回はLattimo(ラッティモ)ガラスについて。
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4-filigrana(フィリグラーナ)
今回は伝統的なガラス技法Filigrana(フィリグラーナ)です。
4-filigrana(フィリグラーナ)
今回は伝統的なガラス技法Filigrana(フィリグラーナ)です。
Designer.Artist.Glass Blower
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Paolo Venini(パオロ・ベニーニ)
経営者であり、世界的な流れと美的感覚の双方のバランスに優れたブランド監督であり後年はガラスデザインにも取り組んだデザイナーでもありました。全ては当時骨董商を営んでいたGiacomo Cappellin(ジャコモカッペリン)と出会い、1921年V.S.M. Cappellin Venini & Cを設立したところから始まります。閉鎖的で伝統的なガラス文化のヴェネツィアにて、初めてアーティスティックディレクターを迎えガラスの生産に取り組んだのもV.S.M. Cappellin Venini & Cが初めてでした。16世紀のヴェネツィアンガラスの黄金期と呼ばれていた時代の絵画の中のガラス器からインスピレーションを受けたガラスは、1923年のモンツァビエンナーレから強烈に支持されました。1925年Giacomo Cappellinと意見相違から決裂し、ガラス職人からデザイナーまで、炉を去ったあとも、Napoleone Martinuzzi,Tomaso Buzzi,Carlo Scarpaという流れからアーティスティックディレクターに迎え、発表される新作は、発表されるとたちまち他のブランドが類似品が出回るといったことが続き、彼は常に時代を捉える先見性を持ち合わせていました。またDomusのGio Ponti,やミラノトリエンナーレを介して国際的な交流も多く、多くのデザイナーや画家をVENINIに誘致し、多くのコラボレーションを実現させました。50年代Fulvio Bianconiと共に多くの名作を世に残し、Veniniが絶頂の最中、1959年にこの世を去りました。彼が生前は全てのガラスにはVENINIのマークしか記されておらず、デザイナーがデザインしているのはVENINIのガラスという考え方でした。"VENINI is VENINI."Massimo Vignelliが、彼がデザインしたものをVignelli lampと口にした際に、Paolo Veniniが放ったシンプルな言葉からも、彼の徹底したブランディングと圧倒的なブランド愛を感じ取れる人物でした。
Paolo Venini(パオロ・ベニーニ)
経営者であり、世界的な流れと美的感覚の双方のバランスに優れたブランド監督であり後年はガラスデザインにも取り組んだデザイナーでもありました。全ては当時骨董商を営んでいたGiacomo Cappellin(ジャコモカッペリン)と出会い、1921年V.S.M. Cappellin Venini & Cを設立したところから始まります。閉鎖的で伝統的なガラス文化のヴェネツィアにて、初めてアーティスティックディレクターを迎えガラスの生産に取り組んだのもV.S.M. Cappellin Venini & Cが初めてでした。16世紀のヴェネツィアンガラスの黄金期と呼ばれていた時代の絵画の中のガラス器からインスピレーションを受けたガラスは、1923年のモンツァビエンナーレから強烈に支持されました。1925年Giacomo Cappellinと意見相違から決裂し、ガラス職人からデザイナーまで、炉を去ったあとも、Napoleone Martinuzzi,Tomaso Buzzi,Carlo Scarpaという流れからアーティスティックディレクターに迎え、発表される新作は、発表されるとたちまち他のブランドが類似品が出回るといったことが続き、彼は常に時代を捉える先見性を持ち合わせていました。またDomusのGio Ponti,やミラノトリエンナーレを介して国際的な交流も多く、多くのデザイナーや画家をVENINIに誘致し、多くのコラボレーションを実現させました。50年代Fulvio Bianconiと共に多くの名作を世に残し、Veniniが絶頂の最中、1959年にこの世を去りました。彼が生前は全てのガラスにはVENINIのマークしか記されておらず、デザイナーがデザインしているのはVENINIのガラスという考え方でした。"VENINI is VENINI."Massimo Vignelliが、彼がデザインしたものをVignelli lampと口にした際に、Paolo Veniniが放ったシンプルな言葉からも、彼の徹底したブランディングと圧倒的なブランド愛を感じ取れる人物でした。